死は救い
また希死念慮が顔を出して1週間経った。
私は家族の何気無い一言にも深く傷付くようになり、認知行動療法の本も辛くて泣いてしまってまともに読めない。
本当に私は大学の先生の言っていたとおり、馬鹿でグズでノロマでアスペなのだ。
やっぱり生きている価値なんて分からない。
LINEももう開かなくなった。
体調不良を聞きつけた知人がメッセージをくれていたりもしたが、今はそれすら負担になっている。
うつはやっぱり甘えなのか。
私はなんだか、誰かに攻めてほしいのかもしれないし、注目されたいのかもしれない。
私は昔から人に合わせるのに必死で自分が分からないし、本を読んでも辛くなるのはそこが大半の原因なのだ。
自分の気持ちって何だろう。私は自分の感情を相手の感情より優先する理由が分からなかった。私のクラスはいじめが横行していて、私も結構疎まれていた。直接的な学級全体のいじめは1ヶ月くらいで終わったが、ずっと続く差別っぽい風潮がダメだった。
何部が偉い。誰とつるんでいるから偉い。何が出来るから偉い。私はかなり変人だったので同世代(一個下から二個上)あたりには馬鹿にされたりハブられたりは日常だったのだ。
今も全員死ねばいいのにと本気で思っている。
でもそれより私が死んだ方が手っ取り早いようだとも感じる。
何で私だけこんな思いをしなきゃいけないのか分からない。親も、地元の人間も、先生も、みんなみんな大嫌いだ。
もう誰とも関わりたくない。
今年中には死のう。
LINEを消したら、山奥まで行って世界と切り離されよう。
死は救い
また希死念慮が顔を出して1週間経った。
私は家族の何気無い一言にも深く傷付くようになり、認知行動療法の本も辛くて泣いてしまってまともに読めない。
本当に私は大学の先生の言っていたとおり、馬鹿でグズでノロマでアスペなのだ。
やっぱり生きている価値なんて分からない。
LINEももう開かなくなった。
体調不良を聞きつけた知人がメッセージをくれていたりもしたが、今はそれすら負担になっている。
うつはやっぱり甘えなのか。
私はなんだか、誰かに攻めてほしいのかもしれないし、注目されたいのかもしれない。
私は昔から人に合わせるのに必死で自分が分からないし、本を読んでも辛くなるのはそこが大半の原因なのだ。
自分の気持ちって何だろう。私は自分の感情を相手の感情より優先する理由が分からなかった。私のクラスはいじめが横行していて、私も結構疎まれていた。直接的な学級全体のいじめは1ヶ月くらいで終わったが、ずっと続く差別っぽい風潮がダメだった。
何部が偉い。誰とつるんでいるから偉い。何が出来るから偉い。私はかなり変人だったので同世代(一個下から二個上)あたりには馬鹿にされたりハブられたりは日常だったのだ。
今も全員死ねばいいのにと本気で思っている。
でもそれより私が死んだ方が手っ取り早いようだとも感じる。
何で私だけこんな思いをしなきゃいけないのか分からない。親も、地元の人間も、先生も、みんなみんな大嫌いだ。
もう誰とも関わりたくない。
今年中には死のう。
LINEを消したら、山奥まで行って世界と切り離されよう。
もっと知ってほしい うつのこと
落ち込みだけがうつの症状だと思っていないだろうか。
出かけるとうつではないのだろうか。
仮病ではないのだろうか。
日本人は厳格で静かで特に「協調性」が重視されてしまっているせいで、今も病院に行きたいのに行けない人や死んでしまう人が増えている。
だからこそ、うつの弊害を知ってほしい。今の私の正直な心境をここに綴ろうと思う。
うつの治療には時期がある。今私はその中で回復期である。ある程度精神的に安定しているが何かあると症状が出てしまう。
私は前の感覚に切実に戻りたい。
前までも学級全体からいじめを受けたり先生から障がい者呼ばわりはされたが、別にそこを常にきにすることは無かった。
今は親に何か言われるだけで夜眠れなくなる。
あと、もう一つは健忘だ。これが今一番困っている。
今では80歳のじいちゃんより言葉の出が遅い。言ってる間に言いたいことを忘れるし、やってる最中に次の工程を忘れる。
会社の人、大学の先生の名前もほとんど覚えていない。
ラインやメールを見ても誰だ...となることが多い。今は少しずつ思い出してはいるが、なかなかきつい。
これを見てもうつ病が甘え病だと思えるだろうか。
これを見ているうつっぽい人、どうか周りに非難されても心をしっかり持ってほしい。自分のことがわかるのは自分だけなのだから。
そう言いつつ私も「うつで休んでんのかw暇じゃん」と言われた一生の親友になるだろうと思っていた人を友達消去するぐらいなので、心は弱いし狭いのだけども。
それでは。
平成生まれが選ぶ昭和歌謡ベスト・ファイブ
私は結構雑多なミュージックジャンルを漁っているが、少し前までの私の流行りが韓国の現代ミュージック全般、海外のチルアウト、国内だとストリートラップといった感じであった為、昭和歌謡を聴いた時「実家の和食を食べてる」感があった。決して悪い意味ではなく、結構こってりした電子音楽やら言葉、ミニマルであるようでそうでないメロディで私の耳と心は少し疲弊していたのだ。だから今の流行りは昭和歌謡一択である。
ずっと使っている音楽アプリ、Spotifyで昭和歌謡はガンガン聞ける為かなり重宝しているし、なにかするときは決まって曲をかけながらである。
そんなこんなで、今日は私的「昭和歌謡ベストファイブ」(ベストテン完全オマージュ)を選んでみようと思う。殆どの人は知ってるよ!と思いそうなラインナップだが、まあそう言う曲って大抵良いので…
1.オフコース/さよなら
https://open.spotify.com/track/3bXH3Ks4KqYSAbZkBjDSLY?si=eodQvfhtTKqk2OG8LHqHsg
言わずと知れた名曲すぎて申し訳ないのだけど、これは多分、どの年代がいつ聴いてもハマらざるを得ない曲だと思う。
日本語をうまく使うというか、歌唱界の三島由紀夫とでも言おうか…(?)取り敢えず巧みに言葉とメロディを操る超人である。
「確かに愛したのは君だけ そのままの君だけ」って!!言われたい言われたすぎる2018冬であった…
2.岩崎宏美/ロマンス
https://open.spotify.com/track/0IoXxOdfGICUPDJpbUoQ74?si=b282OI14Tv66KNy8ONhLYg
あなたお願いよ〜あたりの歌い方が好き。
というかこんな深みのある歌声の少女がこの年代ゴロゴロいたのが奇跡としか言えない。
ちなみに岩崎宏美は動画の方が好き(聴いてない)
3.安全地帯/碧い瞳のエリス
https://open.spotify.com/track/6exqeeOzsbWRhkpB1X3Su5?si=ek_DuEWbRPyrB4TjYovBxg
安全地帯といえば、なんかの音楽祭で玉置浩二さんが田園を歌ったことしか知らなかった。こんなアンニュイなナンバーがある事が最高。ジャケットもかっこいい。
なんだろういい意味で寂れた感じというか…寺尾聰さんとかもそうだけど…そういうのがビシッとハマるなあ。
妹と父親はこういう感じの曲を聴くと全力で「辞めろ!!!!」と言うので1人の時に聴いてる。聴いてて悲しくなるから苦手らしい。
4.渡辺真知子/迷い道
https://open.spotify.com/track/0YsP5YGkKBhTVsw0vvzU0T?si=12CGZU2LTeiz-bELP_o74w
こういうテンポも好き。ピアノとドラムがはきはきしてるような…歌詞は「くねくね〜」とか言ってるのが真面目に聴けるのは渡辺真知子さんただ1人です。
https://open.spotify.com/track/2iCvhUSCfHPy44WkZgGQ7i?si=lNf4nSR2TIK5Lxh0lWjNFQ
最強最高。なんだこれ。ビジュアルが神。歌声ものびのびとしてるし。曲のテイストはあまり好みでは無いけど本人様のポテンシャルがカンストしてるのでランクイン。
私はだいたいこれをローテーションして聴いている。いやほんとに、昭和歌謡最高。なんか「この時代だからこその輝き」をひしひし感じてなんか切なくなる。でもそれも良い。
うつ病のブログ書きあげたらいろんなジャンルのおすすめをこの掃き溜めにぶちかまそうと思う。
それでは。
うつ病になって遺書を書いた話(中編)
7月上旬。
私はエアコンの効いたアパートに篭りきり、楽しくもないネットサーフィンをする生活を送っていた。
精神科への予約は、かなり勇気を要したができた。
と言うか、この電話に出てくれた方がとてもいい人で辛かったね、大丈夫?など私を気にかけてくれて、それでまた涙が出た。
一週間後に予約してもらい、その日は電話を切った。
予約までの期間は地獄で、上司の厚意で午後出勤をさせてもらえることになったのだが帰ってから何もできず、帰って午後7時には風呂に入って8時には寝ていた。
早く受診して、薬を処方してもらいたかった。
受診当日。
そこは大きい精神科専門の病院だった。
精神科と聞くと閉鎖的なイメージがあった私にとって驚愕ではあったが、居心地がよくて安心した。
「〇〇さーん」
小さな小部屋に先生らしき女の人が入り、そこに私も入った。
最初に、どういった症状が出て居るか聞かれ、今まで原因となる事象があったかなど聞かれた。なんだか辛くてやっぱり泣いた。
ひとしきり泣いた後、先生は
「お薬出しときますね」
と言った。
そのとき出された薬がエビリファイである。
副作用はあまりないと聞き、これでやっと楽になれると思った。
半量以下出され、明日の朝から飲んでくださいと言われ、その日は処方箋をもらって終わった。
これでやっと仕事ができる。
心はかなり焦っていた。
次の日、更に地獄を見せられた。
うつ病になって遺書を書いた話(前編)
ある日、朝起きられなくなった。
私は新卒でこの会社に入り、季節は夏に向かっていた。
この会社でお金を貯め、両親に恩返ししながら習い事なんかできたらいいなあと感じていた矢先のことだった。
その日、やっとの思いで会社に電話を入れた。
親にもラインをした。
朝ごはんは食べられなかった。
その日一日布団にいたにも関わらず、次の日もかなり体調が悪かった。
と言うかどんどん悪くなっていった。
常に涙を流し、夕方にはごめんなさいと空に向かって土下座した。
謎の熱も出るようになった。
それでも休みながらでも会社に行った。
ご飯は作れないどころか食べる気力もなかったので、昼以外は牛乳しか飲めなかった。
それでももうちょいすれば治ると思っていた。
だが、初夏のある日。
決定打となる事象が起きた。
私が夕飯を食べている時、
テレビが話しかけてきた。
と言うか空間が私に死を求めてきたのだった。
その後私は経験したことのない感覚に陥った。
このままおかしくなって発狂してしまうのではと言う不安である。
脳みその大事な部分が雑巾絞りされてるような、なんと言えばいいのかわからないが、人生で一度も体験したことのない感覚ではあった。
「これは、一回精神科行かないとやばいかもしれない」
やっとそう思った私は、精神科への受診を決めたのである。